明日から4月かぁ。
ここ数年、土日が仕事で、平日に何とか休みを取る生活をしていたのだが、この半年は全く休みなし。
年末年始は、大晦日に実家に帰り、2日の夜に東京に戻ってきたが、ろくに休めなかった。
ストレスは溜まり、1月には腰を痛めた。日々の健康の大切さを改めて認識した。
自由業は仕事が無ければおしまいだが、効率よく仕事をして、上手に休まないと身が持たない。
しかし、この「効率よく」ということが出来ない。
サガだな、私の。
生き方と置き換えてもいい。
仕事においては、どうしても突き詰めてしまう。
他の事は、いい加減のくせして。
まぁ、一生懸命やっていると思えば、救われるし、報われる。
忙しい中、何回か飲みに行けたことにも感謝しなきゃ。
有難いことに4月からまた忙しくなるが、この半年ほどではないだろう。
少しは自分のペースで仕事が出来ると楽観視している。
正直、私の仕事は、資格が必要なものではないが、誰にでもその道が開けているというわけではないという、不思議な仕事でもある。
だからこそ、頑張ろうと思っている。
誰にでも成れる職業ではないのだから。
成りたくても成れない人だって大勢いるし、仕事が減っている人も目立つ。
手を抜くことは許されず、抜いた瞬間、それが倍になって跳ね返ってくることも多い。
常にネタはどうするのかという不安に駆られるが、逆に言えば世の中で起きていることが全てネタであり、何でも飯のタネになるという珍しい商売だ。
元々、安定志向だったのに、どうしてこんな仕事に就いてしまったのか。
本当によくわからない。
サラリーマンや公務員は何て安定しているのだろうと、恨めしく思うこともあった。
だが、今思えば、いい選択だった。
成功すれば定年がなく、一生、この仕事や関連することで飯が食えるのだから。
私には元々、定年という概念がなく、体が丈夫で一生仕事が出来るなら、その方がいいとずっと思っていた。
その気持ちは、今も変わらない。
悠々自適な生活になったとたん、おそらく体を壊し、ボケが始まるだろう。
それだけは嫌だ。
さて、実は先週末、宮城の石巻と福島のいわきを訪れた。
被災地を一度訪れて、手を合わせに行きたかったのだが、去年の3.11以降、仕事で全く身動きが取れなかった。
津波や原発のニュースを聴くたび、胸が痛くなった。
東京で、普通に生活していていいのだろうか。
そう思うことも少なくなかった。
しかし、ようやく先週末、念願が叶った。
東北道で仙台を目指し、石巻へ。
遠かった・・・
この遠さが、東北と首都圏との震災に対する距離感でもあるのかなと思った。
やはり、現地に行かないと見えないものがある。
石巻の港近くの商店街は全く人がいなかった。
あるコンビニ近くの仮設住宅では、少年とおばあちゃんが寂しそうな目をして、買い物に出かける姿を見た。
やりきれなかった。
ガレキの山がうず高く積まれていた場所も見てきた。
そして、多くの犠牲者が出た大川小学校の跡地にも足を運んだ。
ジュースやお茶を供え、手を合わせて祈ってきた。
胸が張り裂けそうな気持ちになった。
私が犠牲者の親だったら、どんな気持ちになるだろう。
正直、立ち直れないかもしれない。
ただ、津波が来るとわかった時点で、裏山に逃げるなり、何か行動に移せなかったのか。
その決断が、どうして先生たちに出来なかったのか。
いくら、その日は雪が降っていて、しかも裏山の斜面が急だったからといって、何も行動を取らず、子どもたちに「登れ!」と言わず、30分以上も校庭に並ばせておき、結果的に多大な犠牲者が出たことには、やはり責任があるのではないか。
確認したが、大川小学校は北上川よりも水位が低いところにあり、あの場所が、地震発生時に避難場所になっていたこと自体、おかしい。
私たちは、常に歴史や過去に学ぶ必要があると思うが、過去に津波が来なかった場所だからといって、次に来ないとは限らない。
今度の震災で得た教訓は、これに尽きる。
常に最悪の事態を想定し、行動計画を練っておかないと、実際の天災に対応できないのだ。
私の実家は海沿いにあるが、地元の町会議員が調べたところ、1000年間、津波の被害は出ていないという。
この前の震災でも、「それほど大きくはないが、津波が来た」と言う人がいたのだが、「その波は、茅ヶ崎と小田原の方角へ避けて行った」とのこと。
私が見たわけではないが、これが本当なら神様に感謝しなければならない。
ちなみに、この現象は、関東大震災の時でも起きたという。
しかし、今度もまた、同じような幸運に巡り会えるとは限らない。
親には、大きな地震が起こったら、駅まで逃げろと言ってある。
もう、津波が来たら、一目散に高台へ逃げるしかないのだ。
話を戻す。
石巻に関する被害を詳しく調べてから行ったわけではなかったので、正直、勉強不足だったが、1年経っても町のあちこちに震災の傷跡が残っている。
元の状態に町が戻るまで、あと何年かかるのだろうか。
津波の影響で、北上川の川幅は広がり、形は変わってしまった。
それでも、訪問したその日は、悲しいほどの快晴で、この世に神はいるのかと思った。
そもそも、何故、石巻に行ったのだろう。
いわきに関しては、縁や土地勘があるのだが、石巻に関しては、ただ単に「行こう」と思っただけ。
親類縁者はもちろん、縁や土地勘はない。
だから、きっと、誰かに呼ばれたのだと思う。
あるいは、誰かに行って来いと言われたのだろうか。
わからない。
明日以降、チャンスがあれば、いわきについても書きたいと思う。
by duralumincase
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